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なるほど、フィギュアスケートというのは、足元のスケーティングの動きには、一つ一つ名前が付いていて、型が決まっているわけですね。舞踏のステップの動きを図式化した舞踏譜というのは見たことがありますし、バレエも、何番ポジション、などと、ポジションごとに名前が付いているというのは知っていたのですが、それと同じことですね。スケートの場合には、ステップやスピン、ジャンプなどが全て略号で表記できるから、楽譜でいえば、文字譜かタブラチュアのようなものですね。まぁ、そうでなければ、教えることも、練習することもできませんよね。但し、スケートの場合には、スピンやハイドロなどは上体の動きもある程度決まってくるだろうし、ジャンプの最中は、せいぜい両手を上げるくらいで、演技は不可能。でも、その他の部分は、足元のスケーティングやステップには、一つ一つ名前が付いていても、上体の動きは規定されていないし、動きに名前は付いていないわけですね。そして、いわゆる技術点として評価される部分は、規定されている部分、つまり、スピンなど、全身のポジションが規定されているものを除けば、足元のスケーティングやジャンプだけなのですね。なるほど、それで、上体の動きにほとんど関心を持たないように観える選手も多いわけですね。バンクーバー・オリンピック辺りからか、演技構成点によって、芸術性をも評価するようになった理由もわかります。そういう項目を設けないと、極端な話、足首から下のスケーティングとジャンプだけ正確にきれいににできていればいいのか、ということになってしまう。競技スポーツなのだから、コンパルソリー等と同じで、ステップ等も、足元の正確さに尽きる、といってしまえばそれまで。でも、それでは音楽を掛け、衣装を着て演技をする意味はそもそもない。体操、新体操、シンクロナイズドスイミングなどと同じかそれ以上に、「演技をする」ことの一貫性が求められるようになってきたわけですね。なるほど、それで上体の動きにも気を遣う選手が増えているわけですね。但し、足元のスケーティングには、〈型〉があって、逐一、名前が付いているから練習もしやすいけれども、上体の動きには、そういう〈型〉がない。だから、選手の演技力、音楽的・芸術的センスや個性が問われる。フィギュアスケートで、足元のスケーティングを正確にこなすことは、音楽の演奏でいえば、楽譜に書かれていることを、一通り正確にこなすこと。フィギュアスケートで、状態で演技することは、音楽の演奏でいえば、楽譜上には必ずしも明確には書かれていない、最期は自分の感性とセンスで勝負しなければならない解釈のようなものですね。但し、音楽の場合には、音楽の様式感は、楽譜に書かれていることからある程度決まってくるから、その様式感に相応しい解釈も、解釈の幅はあっても、ある程度の方向性は決まってくる。フィギュアスケートの場合には、足元のスケーティングと上体の動きは呼応するわけではなくて、音楽の解釈として、振り付け師が足元のスケーティングと上体の動きの双方を振り付ける。ということは、やはり、振り付け師と選手の双方の音楽的・芸術的センスが良くないと、足元のスケーティングやジャンプ、スピン以上のものは、なかなか出てこないですね。いずれにしても、コンパルソリーが競技種目から外れた辺りから、フィギュアスケートは芸術性を志向しだして、それがバンクーバー・オリンピック辺りの採点基準の変更によって、正式に点数に反映されるようになったということですね。でもそうすると、羽生選手のように、ジャンプやスピン、ハイドロ、イナバウアーといった技そのものを演技として見せてしまうような選手の出現は、どうとらえたらいいのでしょう?彼の場合には、今シーズンはステップ部分の上体の動きでも立派に演技をしていますが、昨シーズンまでは、むしろスピンなどの部分で演技しているようなところがありましたよね。きっと彼の場合には、音楽のリズムがステップやスピンなどのスケートの技に直結していて、だからこそ、技だけで上体の動きも規定されてしまうようなスピン、ハイドロ、イナバウアー、それにジャンプなどが特に綺麗で、音楽との連動のしかたによっては、それそのものが演技に観えてしまうのだろうな、と私などは思うのですが。
so sad I don't know Japanese but I'm learning it and hope I can understand this video one day
なるほど、フィギュアスケートというのは、足元のスケーティングの動きには、一つ一つ名前が付いていて、型が決まっているわけですね。
舞踏のステップの動きを図式化した舞踏譜というのは見たことがありますし、バレエも、何番ポジション、などと、ポジションごとに名前が付いているというのは知っていたのですが、それと同じことですね。
スケートの場合には、ステップやスピン、ジャンプなどが全て略号で表記できるから、楽譜でいえば、文字譜かタブラチュアのようなものですね。
まぁ、そうでなければ、教えることも、練習することもできませんよね。
但し、スケートの場合には、スピンやハイドロなどは上体の動きもある程度決まってくるだろうし、ジャンプの最中は、せいぜい両手を上げるくらいで、演技は不可能。
でも、その他の部分は、足元のスケーティングやステップには、一つ一つ名前が付いていても、上体の動きは規定されていないし、動きに名前は付いていないわけですね。
そして、いわゆる技術点として評価される部分は、規定されている部分、つまり、スピンなど、全身のポジションが規定されているものを除けば、足元のスケーティングやジャンプだけなのですね。
なるほど、それで、上体の動きにほとんど関心を持たないように観える選手も多いわけですね。
バンクーバー・オリンピック辺りからか、演技構成点によって、芸術性をも評価するようになった理由もわかります。
そういう項目を設けないと、極端な話、足首から下のスケーティングとジャンプだけ正確にきれいににできていればいいのか、ということになってしまう。
競技スポーツなのだから、コンパルソリー等と同じで、ステップ等も、足元の正確さに尽きる、といってしまえばそれまで。でも、それでは音楽を掛け、衣装を着て演技をする意味はそもそもない。
体操、新体操、シンクロナイズドスイミングなどと同じかそれ以上に、「演技をする」ことの一貫性が求められるようになってきたわけですね。
なるほど、それで上体の動きにも気を遣う選手が増えているわけですね。
但し、足元のスケーティングには、〈型〉があって、逐一、名前が付いているから練習もしやすいけれども、上体の動きには、そういう〈型〉がない。
だから、選手の演技力、音楽的・芸術的センスや個性が問われる。
フィギュアスケートで、足元のスケーティングを正確にこなすことは、音楽の演奏でいえば、楽譜に書かれていることを、一通り正確にこなすこと。
フィギュアスケートで、状態で演技することは、音楽の演奏でいえば、楽譜上には必ずしも明確には書かれていない、最期は自分の感性とセンスで勝負しなければならない解釈のようなものですね。
但し、音楽の場合には、音楽の様式感は、楽譜に書かれていることからある程度決まってくるから、その様式感に相応しい解釈も、解釈の幅はあっても、ある程度の方向性は決まってくる。
フィギュアスケートの場合には、足元のスケーティングと上体の動きは呼応するわけではなくて、音楽の解釈として、振り付け師が足元のスケーティングと上体の動きの双方を振り付ける。
ということは、やはり、振り付け師と選手の双方の音楽的・芸術的センスが良くないと、足元のスケーティングやジャンプ、スピン以上のものは、なかなか出てこないですね。
いずれにしても、コンパルソリーが競技種目から外れた辺りから、フィギュアスケートは芸術性を志向しだして、それがバンクーバー・オリンピック辺りの採点基準の変更によって、正式に点数に反映されるようになったということですね。
でもそうすると、羽生選手のように、ジャンプやスピン、ハイドロ、イナバウアーといった技そのものを演技として見せてしまうような選手の出現は、どうとらえたらいいのでしょう?
彼の場合には、今シーズンはステップ部分の上体の動きでも立派に演技をしていますが、昨シーズンまでは、むしろスピンなどの部分で演技しているようなところがありましたよね。
きっと彼の場合には、音楽のリズムがステップやスピンなどのスケートの技に直結していて、だからこそ、技だけで上体の動きも規定されてしまうようなスピン、ハイドロ、イナバウアー、それにジャンプなどが特に綺麗で、音楽との連動のしかたによっては、それそのものが演技に観えてしまうのだろうな、と私などは思うのですが。
so sad I don't know Japanese but I'm learning it and hope I can understand this video one day